「私としたことが、つい舞い上がって先走ってしまいました。大変申し訳ございませんでした......」
自室に戻ってベッドに腰かけたリザレリスは、中年紳士のディリアスから深々と頭を下げられた。彼のロマンスグレーの頭髪がリザレリスの瞳によく映る。
「よくよく考えればわかることでした」
むっつりとしたまま答えないリザレリスに向かい、ディリアスが顔を起こした。
「リザレリス王女殿下は五百年間も眠ったままだったのです。記憶を失くしていたとしても不思議ではありません。たとえ記憶を失くしていなかったとしても、混乱は避けられなかったでしょう。五百年前がどうだったのか。私は残された記録によってしか知りません。ですので実際にどうであったのかはわかりませんが......きっと今とは世界も大きく異なったのでしょう。とりわけブラッドヘルムは......」
そしてディリアスは床へ膝をつくと、リザレリスへ、知るべきと思われることを語った。世界のこと。吸血鬼のこと。ブラッドヘルムのことを......。
「......ということです。臣下の者たちへリザレリス王女殿下をお披露目する前に、こうして私から殿下へきちんと説明すべきでした。本当に申し訳ございませんでした」
ディリアスは再び頭を下げた。
しばらく彼を見つめてから、不意にリザレリスがすっと立ち上がった。
ディリアスは顔を起こす。「王女殿下?」
リザレリスは部屋の中を進んでいくと、姿見の鏡の前で立ち止まった。
「これが、今の俺......」
正直、しっかりと説明を受けたところで、やはり受け止めきれない。質問したいことも山ほどあれば、頭に入ってすらこないことも多くある。
そもそも、考えるのも面倒だった。この世界がどうとか、国がどうとか、吸血鬼がどうとか言われても、他人事のようにどうでもよく思える。
だって自分は日本人の青年で、女にモテて、日々を充実して過ごしていたんだ。最後の最後で女に刺されてしまったけれど、それまでは本当に楽しくやっていたんだからーー。
リザレリスの頭と心には、未だに前世への未練が色濃く残っていた。だが、鏡に映る絶世の金髪美少女をじっくりと眺めているうちに、ふと新たな想いが湧き起こってくる。
「美人のお姫様、か」
実際の吸血鬼というものがどんなものなのかは、まだよくわからない。だけど、美人のお姫様の人生というのは、悪くないんじゃないか?
この中世時代っぽい文明の世界では退屈することも多そうだが、少なくとも金に困ることは無さそうだ。
どうせならイケメン王子様に転生したかったけど、こればっかりはしょうがない。こんなプリンセスに転生できただけでも、俺ってガチャ運良くね?
「で、殿下?」
リザレリスを見つめていたディリアスがギョッとする。彼女が自らの胸を艶かしくまさぐりはじめ、その白く小さな横顔に妖しい笑みを浮かび上がらせたから。
「ど、どうかなされましたか」
「いや、べつに」
リザレリスは腕を下げると、くるっと鏡に背を向けた。それからパッと中年紳士へ振り向き、気取ったセレブのような仕草をする。
「豪華な食事を用意できるか。長い眠りから覚めて俺...じゃなくてわたしはまだ何も食べてないんだ」
途端にハッとしたディリアスは「イエス・ユア・ハイネス(かしこまりました)」と、お辞儀をしてから、そそくさと部屋を飛び出し部下へ命令した。
~登場人物紹介~・・・ ☆リザレリス・メアリー・ブラッドヘルム本作の主人公。五百年間の眠りから覚めた吸血姫にして、吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の正統なる王女。前世は遊び人の男で、その人格をそのまま保有している転生者。年齢不詳だが、外見は十五歳ぐらいの金髪美少女。目覚めてから二回の吸血を行っているも条件などは不明。魔力を秘めている?性格は明るくテキトーで、遊び大好きのお転婆プリンセス。 ★エミル・グレーアム銀髪の美少年。吸血姫のための生け贄。優れた魔導師でもあり、王女の護衛も務める。性格は真面目で謙虚だが、王女のためなら大胆にもなれる。その性格と哀しい半生は、リザレリスの心にも影響を与えた。リザレリスを心酔している。 ★フェリックス・ヴォーン・ラザーフォード〔ブラッドヘルム〕の友好国であり、大国〔ウィーンクルム〕の第一王子。知的で聡明な気品ある金髪美男子。穏やかで爽やかなイケメンだが、底の知れなさを秘める。リザリレスが王女であることを見抜いていた。優れた魔法能力も有しているようだが詳細は不明。 ★レイナード・ヴォーン・ラザーフォードフェリックスの実の弟である第二王子。ぶっきらぼうで偉そうな黒髪美男子。雑貨屋でリザレリスと出会い、氷のリングを巡ってモメたことも。その指輪は彼女へのプレゼントらしいが......。 ☆ルイーズ特別侍女長の中年女性(具体的に何が特別かは不明)。王女の教育係でもある。お堅い先生気質で性格は厳しい。今後は政務官(外務官)の役割も担うことになる。 ★グレグソン王子たちの執事的な従者の中年男性。 ★ディリアス吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の国王代理の公爵。リザレリスが女王に即位しなかったので、実質的な最大権力者。リザレリスいわく、イケオジ。実は元生け贄で、エミルの師匠でもある。 ★ドリーブディリアスの政敵である侯爵。タヌキ面の小太りの中年男性。狡猾。・・・ ~ここまでのあらすじ~ 前世で刺殺された主人公は、吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の王女リザリレスに転生する。プリンセス生活を謳歌できると思ったリザレリスだったが、国の経済は逼迫していた。間もなく政略結婚の話も持ち上がり、リザレリスはピンチに。そんな時、お忍びで〔ブラッドヘルム〕にやって来ていたウィーンクルム王子ふたりと出会う。彼らはブラッドヘルム城へ
【13】出国の朝も爽やかな晴天に恵まれた。春のような暖かい風が穏やかにそよいでいる。リザレリスは、エミルと他数名の従者を従えて、国一番の船に乗り込んだ。昨日のパレードのような混雑を避けるため、一般国民に向けて時間や場所の周知はなされていない。港に並ぶ人々は、ほとんどが城の者たちだった。「思ったより人数少ないんだな」甲板に立ったリザレリスが意外な顔をした。でもそれは港に立つ人々へ向けたものではない。船に乗る船員たちに対してでもない。留学する王女に伴う人員の少なさについてだ。「フェリックス王子側からの要請だそうです」王女の傍に寄り添うエミルが答えた。「へー、そーなんだ。でもなんでだろ」「リザさまの警護については、ウィーンクルム側が責任を持って人員も費用も負担するということです。リザさまのお側には常にぼくも付いていますから心配はご無用かと」「ふーん」自分から振ったわりに、リザレリスは興味なさそうに返事をする。当然だ。心は留学のワクワクでいっぱいだから。本当は、はしゃぎたかった。でも我慢した。口うるさいルイーズも侍女として、すぐ後ろで控えているからだ。ちなみにルイーズは今回、侍女のみならず現地での政務官(外務官)のような役割も担っているらしい。上質なシュールコーを纏った、古風だが品格のある女官のような本日の彼女は、普段とは様相が異なっていた。妙に様にもなっている。なぜ侍女であるルイーズがと不思議に思ったが、リザレリスは深く考えなかった。留学生活への期待と楽しみに、王女の頭は支配されていた。「あー、早く学校行きてー」「もう少しですよ。ぼくも楽しみです」エミルに微笑みかけられ、リザレリスも笑みを浮かべた。まもなく船が出航する。元気なリザレリスは手すりに走り寄っていくと、目一杯にぶんぶんと手を振った。ルイーズの存在も忘れて。「みんなー!」「王女殿下!どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ!」港に立つ臣下の者たちは皆、一様に堅苦しく声を上げた。リザレリスは手を横に振り、違う違うとジェスチャーする。「こういう時はもっと砕けていこうぜ!」「お、王女殿下?」臣下の者たちは目を丸くする。離れていく船の上から、王女が自分たちに向かい、被っていた帽子をぽーんと空高く放り投げたのだ。薔薇風のリボンをしつらえた王女の帽子がカモメのように宙を舞う。それは不
ディリアスはいったんドアの方をチラッと見やってから、エミルへ視線を戻す。「で、どういう変化なんだ」「明確に言うのは難しいのですが......」「いいから言ってみろ」「ぼくの魔力に、新しい別の魔力が混じったような、そんな感覚を覚えたんです」「新しい別の魔力が混じった?」「おそらく王女殿下は、特殊な魔力をお待ちのようです。それはまだ微弱なもので、今後どうなっていくかはわかりません。ご自身ではお気づきになっていらっしゃらないようですが」「特殊な魔力か」「そして吸血により、ぼくの中にその魔力が流し込まれたのかもしれません」「なるほど。だからお前はその魔力に気づけたのだな」「そう考えるのが妥当かと。とはいえぼくも二回目の吸血でようやく気づけたことですが」「それで、お前の魔法に変化はあるのか?」「今のところはまだ。ただ......」
無事パレードも終わり、一日が終わろうとする頃、エミルはディリアスの執務室へ呼び出された。二人きりだった。部屋はやけに静かで、ランプの炎の音が聞こえてきそうだった。ディリアスの指示により、小一時間ほどは他の者の入室、および部屋に近づくことさえも禁じたからだ。「先生」執務机を挟んで、エミルはディリアスの向かいに立った。「エミル。何の話かはわかるよな」ディリアスは着座したままエミルの顔を見上げる。神妙な表情だ。「リザさま...リザレリス王女殿下のことですね」エミルも神妙に応じる。ディリアスは目だけで頷くと、口を切った。「今日に至るまで、王女殿下に吸血されたのは二回だけ。間違いないな?」「はい」「吸血のタイミングは不規則で、条件も特に見当たらない。そうだな?」「はい」「では王女殿下のご様子に変化は?」「吸血
【12】 いよいよ王女が留学のために出国する前日。青空の下、〔ブラッドヘルム〕ではパレードが行われた。リザレリスの提言により無駄な支出は控えられていたものの、ディリアスの立っての要望だった。何より国民のためと言われれば、リザレリスも断ることができなかった。豪勢な馬車に鷹揚と運ばれながら、花道を作る国民に向かい上品な笑顔を作り、しとやかに手を振る王女がそこにいた。「う、うまくやれてるかな」リザレリスは笑顔を維持したまま、隣に控えるディリアスに確認する。「大丈夫です」ディリアスは穏やかに頷いた。リザレリスはほっとする。事前にルイーズから相当厳しく指導されていたので、万がいち失態を犯せばどれだけ絞られるかわからない。留学前日の夜に『王女教育授業』の補講を受けるハメになるのはまっぴらだった。「......それにしても、俺...わたしって人気あるんだな」道に押し寄せた国民は、リザレリス王女を一目見ようと熱狂していた。逼迫した経済状況であることも忘れて。国民のためと言ったディリアスの言葉の意味は、こういうことだったのだ。
【11】留学まで残りあと僅かとなったある日。午前の授業を終え、いったん自室に戻ったリザレリスは、はたとする。「俺...わたしは、なにマジメに王女やってんだー!」ここのところのリザレリスは、日々ルイーズの授業を受けながら、城内と城の近辺だけで過ごしていた。留学したら自由にできると思って、今は大人しくしていたというのもある。ヘタに何かをやらかして留学の話が飛んでしまったら元も子もない。だが、そろそろ限界を来していた。「留学はマジで楽しみだ。なんせ前世でも経験したことないんだから。だから今は遊ぶのも我慢してたけど......もう遊びてー!!」リザレリスは叫んだ。前世の人格から飛び出した、まさしく魂の叫びだった。「てゆーか最近はエミルの奴もあんまり絡んでくれないし。そうだ。エミルを連れ出して、また一緒に外へ遊びに行こう!」思い立ったが吉日。リザレリスはドタドタと部屋を飛び出した。「エミル・グレーアムですか?外に行っておりますが。場所は確か......」臣下のひとりに教えてもらい、リザレリスは廊下を駆け抜け城を出ていく。召使いに命令して呼び出したほうが楽なのに、リザレリスは自分で探しに行った。そうしたかったから。「あっ、エミル!」視界の先にエミルを見つけ、リザレリスは人気のない空き地に向かって翔けた。 「王女殿下?」エミルは驚いて振り向いた。視界の先から、愛しい王女が手を振って走ってきている。「リザさま......」エミルは息を飲んだ。太陽に照らされたイエローダイヤモンドのように煌めく美しい髪をなびかせて、無邪気な少年のように駆けてくる絶世の美少女に。「エミル!」リザレリスはエミルに走り寄っていくと、華奢な体でドーンと体当たりした。エミルはただ驚いた。「り、リザさま」「あ、ヤバい」と途端にリザレリスは膝に手をついて、ゼーゼーと肩で息をする。 心配になったエミルは王女の肩を抱こうとするも、ハッとする。朝からトレーニングをしていた自分の体が汗臭い気がしたから。「ああー、のど乾いちった」おもむろにリザレリスは汗が滲んで桃色に火照った顔を上げて、えへへと笑った。その笑顔から放たれた可憐な矢に、エミルの心臓は射ち抜かれた。「か、かわいい......」「えっ、なんて言った?」「な、なななんでもないです」途端にあたふたとしてエミルは横を向い
【10】王子来訪以来、エミルは城外にある人気のない空き地によく足を運ぶようになっていた。リザレリスを取り巻く状況が変化したことと並行して、エミルの心境も変化していた。もっとも彼の場合は、個人的な感情に起因していた。「精が出るな。エミル」そこへディリアスがやってきた。すでに空は夜に染まっていた。「ディリアス様。お忙しいところ、こんな時間にお呼び立ていたしまして申し訳ございません」エミルは動作を止めて、ディリアスに体を向けた。綺麗なエミルの白い顔は火照り、汗が滴り落ちている。「今は私たちだけだ。そんなに堅い言葉使いはしなくていい」「そうですね、先生。それでは早速ぼくと手合わせ願いませんか?」エミルは意気込んで構えるが、肩で息をしていた。ディリアスは吐息をつく。「少し休憩を取りなさい」「嫌です」生贄の美少年は、熱い青少年の眼差しを向けた。「すぐにやらせてください」「そんなに悔しいか」 ディリアスに訊かれ、エミルは拳をギリギリと握りしめる。「ぼくは王女殿下の生け贄であると同時に護衛です。それなのに......」「フェリックス王子に敗北してしまったと」「はい......」「戦いではないのだがな」「ぼくの唯一の取り柄である魔法で出し抜かれてしまったのは事実です。フェリックス王子にとっては取るに足らないことなのかもしれませんが、ぼくにとっては......」「まるで想い人を取られてしまったような顔をしているな」「なっ、いや、ち、違います!」図星だと言わんばかりに慌てふためくエミルを見て、ディリアスは嬉しそうに頬を緩めた。「あの王女殿下が、あの一件でフェリックス王子とお前を比べたと思うか?」「......そうは思いません。これは、ぼく自身の問題なんです」エミルは視線を逸らして、唇を噛んだ。「つまり、このままでは王女殿下に相応わしい男ではないから修行し直している。こういうことだな?」「はい」「リザレリス王女殿下の意中の男性になるためにはもっと頑張らなければ。こういうことだな?」「はい。......えっ??」やっと言葉の意味を理解したエミルは、またもやあたふたと焦り出した。「そんな分をわきまえない大それたこと、ぼくは!」「では、久しぶりに手合わせするか」と唐突に切り替えたディリアスは、エミルに向かい構えて見せた。「ぼ、ぼくをから
【9】王子ふたりが来訪してからしばらくの間に、リザレリスを取り巻く状況は変化していた。まず、ドリーブの策略によって危ぶまれたディリアスの地位は、以前にも増して安泰した。これはリザレリスにとっても好ましい状況変化といえる。「この度は、誠にありがとうございました......」ディリアスに深々とお辞儀をするドリーブのタヌキ面は、悔しさに満ちたものだった。結果として、ディリアスがドリーブの失策を挽回した形となったからだ。ディリアスがフェリックス王子と王女留学の話をまとめたことにより、ドリーブも救われた格好となったのである。もちろんドリーブ自身リスクは重々承知していた。失敗に終わったこと自体は素直に受け入れている。要するに、政治生命を救われたとはいえ、ディリアスに借りを作ってしまったことが不本意でならないのだ。「し、失礼いたしました......」奥歯を噛み締めてドリーブが部屋から辞去していくと、ディリアスは吐息をついた。「ドリーブ卿は、一番の政敵である私に借りを作ってしまって悔しいだろうな」「これで大人しくなってくれればいいですね」何の他意もなく部下が言うと
【8】城を後にした王子たちは、早々に帰国の途についていた。島国の〔ブラッドヘルム〕の港から、〔ウィーンクルム〕の港までは、船でニ時間あまりを要する。すでに夜だったが〔ウィーンクルム〕が誇る魔導式船舶であれば何も問題はない。だからフェリックスの意見で少しでも帰国を早めたのだった。誰もウィーンクルムとブラッドヘルムを行き来する商船に、王子二人が乗っているとは思いもしないだろう。入国も出国も、いずれもフェリックスの指示で、部下のグレグソンが手配した。第一王子にとって、お忍びでブラッドヘルムを行き来することは容易かったのである。「つーかよ」王子用に用意された客室の中、レイナードは正面に座るフェリックスへ切り出した。「マジで兄貴は何がしたいんだ?」弟の顔には当惑の色が浮かんでいた。兄はふっと頬を緩めて、穏やかに微笑む。「ディリアス様とお話したことがすべてだよ?」「どうせ俺に説明してもわからねーってことか」ふんっと弟は腕を組んで顔を背けた。「物事にはタイミングというものがあるからね」とフェリックス。